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広上、ガヴリーロフ派手な喝采

 

 

体格とパンチ力からいうと、その男は日本のナポレオンといった印象を与える。ずんぐりした体つき、エネルギーの塊のような人物が指揮者用の譜面台の所に立ち、音楽的にどれほど自由奔放な度の過ぎたことでも、どうやら疲れを知らないそのテクニックとリズムを盛り上げる卓越したドライブで切り抜ける。この1956年、東京生まれの広上淳一が、ヨーロッパでは、まだそれほど知られてない「日本フィルハーモニー交響楽団」の指揮にふさわしい人物だということは、なんら疑いの余地がない。と言うのも、いくらか華麗に響く名を持つこの楽団の目指すものが、少なくとも音色上、欧米のオーケストラ界でも上級クラスに仲間入りするものとなって長期になるからである。そして事実広上は、楽団奏者の演奏水準を最善の状態にもってゆき、均質な響きのアンサンブルを築き、ますます第一級の西洋音楽に対する感受性を育てることに成功しているように思われる。
もっとも、広上は彼の望むそのねらいにはまだ到達していない。なるほど彼は、この管弦楽作品で激しく動いて体にものを言わせ、マニュエル・デ・ファリャの「三角帽子」を、差し挟まれた悲劇的な音を使い、見事にセンセーショナルな作品に仕上げることに成功している。がしかし、とてもよくオーケストラを手の内に入れているにもかかわらず、何か決定的な物に欠ける。豊かな音色、リズミカルな精巧さは、まったく賛嘆すべきものである。だが、地中海的な感性と情熱のその雰囲気が十二分本当の物になっておらず、純粋な感情移入がなされないままなのである。派手な喝采フィナーレの付いたサーカスの出し物のような物である。むろん日本のオーケストラには、マニエル・デ・ファリャのイベリア人特有の語法が、実際のところかなりエキゾティックな感じを抱かせているには違いないのだが…。
べ一トーヴェンの第一交響曲では広上が、なるほど正確な進行と、はっきりした調子の進行にはマエストロとしての積極性を強烈に喚起するが、音楽の自由な息づかいには、ほんのわずかしかその余地を残していないという事が時折問題としてみられたが、ラフマニノフの「パガニーニ狂詩曲」では、テクニックと情緒性が高いレベルで完壁に統合されているのを経験することが出来た。というのもアンドレイ・ガヴリーロフのピアノ技術が目下の所、再び最高のコンディションになっており、彼はそのピアノ・パートの目標を表現豊かな極限にねらいを定め、不慣れなものや手に余るものでも敢えて挑む一方、柔和でセンチメンタルなパートにも気高く上品なものを見い出していたからである。パトス、アイロニー、そしてラフマニノフがパガニーニと超名人芸の持ち主に対する敬意として、緻密に練り上げて作った技巧による華麗な花火。そう、このソリスト・ガヴリーロフは、難なくこのオーケストラの客演を素晴らしい記憶の内に止めることが出来たのだった。

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